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本土寺の住職さん
                               

長谷山本土寺 第六十世 河上 日順 貫頭(78)

一切の命尊重、寶樹多花果めざす

戦中の私たちの青春時代は、国に命を捧げることが当然と思っていました。
私は「それでは今、生きているということはどれ程の価値があるのか」と考えました。
始めに生物学に興味を持ち、丘浅次郎博士の進化論講話、生物学講話などを熟読しました。

そこで突き当たったのは、人間の頭脳の進化によって産み出したもの自体によって、人間という「種」が自滅へ追い込まれていく、人間だけが(不滅の)特典を持っているのではないということでした。これが私の大きな悩みになり、長い間の課題になりました。

 私は在家で、戦後、義理の兄で師の山田一光師(本土寺前貫首・当時執事長)に手伝って欲しいと言われ本土寺へ参りました。

その頃、日本人に大きな影響を与えた本に、内村鑑三さんが英語で書いた「代表的日本人」があり、日蓮聖人のことが「日本の宗教家としては特異な存在で、日本の宗教を法華経によって現代化した人」「世界的な宗教家としては日蓮聖人をあげざるを得ない」と書かれているのを読んで、坊さんになろうと思い、昭和二十七年に得度しました。その後執事長、平成七年に貫首になりました。

来た当時、本土寺は戦争で爆撃こそ受けなかったものの至る所で雨が漏り、ひどい所は「雨が降っている」状態でした。
なぜこんなにひどいのかを考えると、戦争で荒れる以前から、廃仏毀釈で荒れたことが分かってきました。

 戦後の日本は文化国家として出直しましたが、いつの間にか経済至上主義の国となりました。
信教の自由は憲法で守られることになりました。しかし教育においてはこの信教の自由に足を取られて、学校で仏教を教えることは憲法違反になるので、教えられない、教えられないまま今日に至ってしまった。結局、明治の廃仏毀釈政策以来、仏教を忘れてきたのです。

 しかし、私は法華経を読むうちに大変なことに気がつきました。「衆生却盡きて大火に焼かるる」と見えていたのです。
お釈迦様は、実に二千五百年も前に末法における人間の自滅を厳しく見通され、しかもなお、人間の救いはどこにあるか、我が此の土(本土)にあり、といわれているのです。
それを知って私は「寶樹花果多くして、衆生の遊楽する所なり」という寿量品の一節を、自ら渾身の力を振りしぼって実現する決意をしました。

 本土寺は今、「あじさい寺」といわれていますが、ここは真っ先に植えたのは桜でした。
これは立正大学元学長・渡辺宝陽先生のお父さんが不思議なご縁で檀家になっておられて、毎年信徒を連れて植えてくれたのです。その後、農村地区の檀家さん方にも手伝って頂き、全山の復興が始まり、各お堂や建物を応急修理し、桜の下にはアジサイを挿し木してゆきました。

次第にアジサイは増え、誰言うともなくアジサイ寺になりました。また、京都に行くたび、あちこちのお寺の紅葉の美しさに心を打たれました。特に山もみじの間に点々とする真っ赤なモミジ。これが大盃という種類と分かり、現在まで四十年かけて千本近くも植えたでしょうか。植えた自分でも驚くほど美しくなる紅葉は「寶樹花果多くして、衆生の遊楽する所なり」がいささか実現したようです。

 十年程前、境内にある菖蒲園の背景となっている竹やぶにマンションを建てるという計画が明らかになりました。
近郊の方々が反対運動に立ち上がり、私もこれは単に一寺院の風景でない貴重なものと思い「ご賛同の方は門前でご署名ください」と一枚の紙を菖蒲園に貼っておくと、ひと月の間に四万六千人もの反対署名をいただきました。

中には米国・ロサンゼルス市の三百人に及ぶ方々からの英語での署名もあり、松戸市議会に陳情し、やがて採択されました。幸い裏山には業者が手を引いてくれました。

その後十年近く松戸市の都市計画が着々と進み、市は本土寺参道をそっくり保存し、その歴史的価値に光を当てると共に、安全に通れる道路作りに利用したいということになりました。
私の方でも明治の廃仏毀釈で失った裏山の千四百坪を買い取り、市民のために紅葉の山を作ろうと進めています。
これが当山の立教開宗七百五十年記念事業となりました。
 ところが松戸市長の英断や当山に対し、いわれもない中傷を流す人が出て、名誉毀損の訴訟中です。

最近の団地、家作りの中では、仏壇や床の間が忘れられようとしています。
手を合わせる祈りの場が仏壇であるということ、自分の体に流れているその家の正しい文化、仏教という平和な文化を、親が子に教え残す、それが後世への最大の贈り物であることに目覚めてほしいと思います。

 お釈迦様は宗教の違い、民族の違いを越え、人間の自滅を救おうと、人間だけでなく地球上の草木に至るまで一切の生命の尊重を説かれてました。これが日本文化の根底にある生命感です。
今こそ千数百年われわれの中に流れてきたこの平和な生命感によって、かつての戦争を批判するとともに、戦後の人間本位の生命感の欠陥を補って、次の世紀に地球上の一切の命が生きられるようにしたいものです。

 そう願って寺を楽園浄土にするために微力を尽くしてまいりました。
道はいまだ遠いですが、戦争中生物学を学び、打ち砕かれた青春があり、戦後、法華経に出会ってお釈迦様の広大な慈悲に打たれた感動は、日蓮聖人がお題目を七百五十年前に唱えられた感動と重なってこの胸に生きてたいます。

信徒の皆さんには、お題目を唱える感動を子供たちに最良の贈り物としていただきたいのです。

−日蓮宗新聞(2001年9月1日号)より−